国宝・薬師寺東塔の見学会に行ってきました。

先日、木有研(木材有効活用研究会)の活動の一環で、奈良県西の京にある薬師寺へ河合先生と薬師寺副住職のご案内の元、見学会へ参加しました。その際に学んだことや、感じたことを、今回こちらにてご紹介しようと思います。
薬師寺とは
薬師寺は、680年天武天皇が皇后である後の持統天皇の病気平穏を願って建造が始まり、697年に本尊が開眼したとされている法相宗の大本山のお寺です。遷都に伴い、当初の飛鳥藤原京から718年に平城京に移されました。
約1300年以上の年月の中で、何度も自然災害や戦火に巻き込まれ建物が焼失、損壊の被害にあいました。その後、残された建物の修繕や失われた伽藍の復興を重ねながら、今日の姿へと受け継がれています。建物の歴史もさることながら、薬師寺に携わった全ての人々の叡智の結晶とも言える建造物が、およそ4.5ヘクタールの広大な土地に多数健在していました。
その中でも、今回特に我々が詳しくお話を伺ったのが国宝・東塔です。この東塔のみが、奈良時代の創建当初から現存する唯一のものとのこと。2009年から2021年にわたって大規模な解体修理も行われました。その当時のお話や使用した木材についても伺うことができましたので、少しお話ししたいと思います。
木造建築と職人の技術が、1300年の歴史をつなぐ

今回、主に見学させていただいたのが、730年に建立され、薬師寺の創建時の建築として唯一現存する国宝・東塔です。約1300年もの間、当時からの姿が保たれているのは、まず一つその時代時代の職人の技術があってこそだとお話を伺い感じました。
木造建築の特長の一つに、破損した部材や傷んだ部分などを、すべて壊さず分解し、差し替えるということができるという点です。東塔をはじめ、木造建築は無数のパーツが組み合わさりできています。しかし、それらをただ単純に入れ替えるだけではなく、材の状態を見極め、残された加工の跡などから、正しい工法と技術で修繕しなければ他のパーツとうまく噛み合いません。
また、こうした文化財の修復は、頻繁に同じ箇所を修繕するようなものではありません。創建時の職人の手仕事から方法を読み取るということも、歴史の中では少なくなかったのではと想像します。奈良時代の職人たちから現代に続くまで1300年もの間、職人たちの持つ技術と知性のバトンがこの東塔を支えているのだと、大変興味深い知見を得ることができました。
文化財修復と材木の未来について
2009年から2021年の間、東塔は大規模な解体修理が行われました。またこれも、現在の東塔の状態を整えるための修理と同時に、調査・記録をしてデータを取り、後世に残すために非常に重要な”研究としての側面”もあったと考えます。実際にどのような材木を使用するのが適しているのか、また古材の強度調査や経年劣化の推移などの材料試験も行われていました。
お話を伺う中で、興味深いと感じたのが『再使用できないと判断された古材について』です。再利用できないとされる傷んだ部材の中にも、奈良時代当時のものがあり、それらの材1,540点が国宝に追加指されました。古いから新しいものに取り替えるだけではなく、役目を終えた部材も資料として残し、学び知識を得るということが木造建築の文化財を守ためには非常に重要なのだと改めて認識しました。

こちらは、以前に薬師寺の修繕に使用された紅桧の断面です。こちらは台湾から寄贈された巨木で、その断面からかなり大きな紅桧であったことがわかります。なんとその樹齢は2500年にのぼると言われています。中心部が抜けていますが、その周囲からでも大講堂を支える柱が取れたということが木取りからも分かります。
木取りを終えた”は材”ですら、我々が普段触れるような事もないような貴重な材が使用されているという文化財の凄みを肌で感じる展示でした。

こちらも、台湾桧の丸太で樹齢は1000年の巨木が展示されていました。日本国内でこのような材を探すのはもう現在ほぼ不可能で、海外産の材に頼らざるを得ません。これからますます天然材料の取得が難しくなっていきます。今後また1000年と文化財のバトンを未来へ繋いでいくために、我々街の材木屋が文化財修復に関わる機会は決して多くはありませんが、一端を担う立場として、改めて深く考える機会となりました。